「感謝」とか「ありがたい」という気持ちをわからず生きてた
おはようございます!
先日、旅から戻ってボーっとした頭で過ごしてたら、
とんでもない勘違いをやらかしていました。
「いつそんな話になった?」と、周りがびっくりするようなこと。
それでも…
ーー
やりたいことは、何ですか?
ーー
「やりたい」と思った、私の無茶振りに
「いいよ。一緒にやろう」って言ってくれる人がいる。
その「やりたいこと」は「私だけがやりたい」のではなく
「みんなでやりたい」って思ってること。
「みんなで」っていうところに、感動があるのです。
たぶん、この「みんなで」っていう感覚は、
20代、パソコンソフトメーカーで「同じ会社に勤めている仲間」がいたとき以来、かも。
私一人がやりたい、と思いついて、強引に人を巻き込んできたこと。
そういうことは、今まで、数限りなくあった。
「あれやりたい」「これやりたい」「絶対楽しいから手伝って欲しい」
自分の都合だけで、突っ走ってきた。
それでも「それって面白そう」「手伝うよ」って言ってくれる人がいたのです。
私は、そうやって来てくれた人に「感謝」をしていただろうか?
その人が、自分の「命の時間」を私のために使ってくれたことに、感謝できていただろうか?
その行動に対して「お礼の気持ち」を感じていただろうか?
それを伝えられていただろうか?
その人が欲しいと思っていた感情、を味わう機会を作れていただろうか?
今振り返って、自分の、自分勝手さと恩知らずに赤面する思いなのです。
私は「感謝する」ってどういうことか、わかっていなかったんです。
だから、2013年、新しくビジネスを起こそうとコンサルを受けた時、手厳しく言われました。
「あなたには、感謝がない。そんな状態で商売がうまくいくわけがない」
すごくショックだったよね。
感謝って何? 感謝がないってどういうこと?
何をどうしたら、感謝できるようになるの??
そんでまあ、いろいろ、紆余曲折、挑戦が続いてくわけですが。
「ご先祖様」のことと「感謝」のことが、なんとなくわかってきたのがここ最近のこと。
「同じ想いの仲間がいる」喜びを感じ、
「この、ありがたい、と思うことが感謝なのか!」腑に落ちているところです。
ーー
やりたいことは、何ですか?
ーー
今更ですいません。でも、わからないでいるよりよかった。
わかったからこそ、心持ちが変わりました。
やっていることは同じでも、それに対する「おもい」が変わりました。
今日も私はこうして文字を書いています。
ただ、自分が、書きたいから書いてる。
それを読んでくださって、ありがとう。
あなたの大切な時間を使ってくれて、ありがとう。
何かの気づきになれたら。元気がでるきっかけになったら。嬉しいです。
今日もいちにち ごきげんに。
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